男性因子未治療での高度生殖医療のリスクとは?
日本は人口当たりの高度生殖医療施設が世界一多く、米国の2倍になることが知られています。その結果わが国では年間40万周期の顕微授精及び体外受精が行われており、その件数はたった人口1億人の島国でありながら世界一です。本邦での体外受精の大半が顕微授精であり、採卵一周期にかかる治療費が50万円として試算すると年間2千億円もの治療費が支出されていることになります。
一方で日本産婦人科学会が公表している顕微授精と体外受精の採卵周期あたりの妊娠率はそれぞれ5.7%と8.0%に過ぎません。顕微授精と体外受精の胚移植あたりの平均妊娠率がそれぞれ22.4%と22.7%と公表されていることを考慮すると、いかに受精させても胚発生が不良のため胚移植に至らない周期がどれほど多いかを物語っています。
そして顕微授精や体外受精の成績が不良である原因として女性の高齢化と卵子の老化がよく取り上げられてきました。しかし卵子の老化で問題になるのは細胞質でありDNAではありません。なぜなら卵子は出生後細胞分裂をせず、ストックが減っていく一方だからです。それに対して精子は思春期以降絶え間なく細胞分裂を繰り返しており、特に減数分裂という父方染色体と母方染色体で遺伝子の交換が多発する局面でDNAは切断され、その後修復されるのですが、加齢により修復が不完全となりDNA損傷が大きくなってくることが報告されています。そして最近になって精子DNA損傷は特に不妊カップルの男性で顕著であることが示され、生活習慣や精索静脈瘤などの男性不妊因子が関与していることが示されています。精子のDNA損傷が一定レベル以上であった場合は受精してもその後の発生が停まることは容易に想像されます。
以前より顕微授精で生まれた児に低出生体重の傾向があり、心臓や呼吸器に障害を持つリスクが高く、自閉症や注意欠陥多動性障害のリスクが高いとする報告がありました。しかしこの度、顕微授精で生まれた男性が大人になった場合は自然妊娠で生まれた男性に比べて精子の量や質が低いとするデータが生殖医療の権威ある論文Human Reproductionに掲載されました。こうした顕微授精のリスクはこれまで顕微授精そのものが原因というよりは顕微授精が必要となる重症男性不妊症の精子を使用しているからだと考えられてきました。しかし顕微授精は重症男性不妊症ばかりが対象となっているわけではなく、精液検査で比較的軽症とされる男性不妊症や精液検査で一見正常な場合でも普通に行われています。したがってむしろ精子のDNA損傷に対して何ら対策を取らないまま顕微授精を実施することにより、健康上や妊孕性の問題を次世代に伝えるリスクの存在も否定できないのではないかという危惧が生じます。
医師も患者も不妊治療の現場では単に精液検査での精子数や運動のみに目を向けるのではなく、個体に目を向けて精子DNA損傷を少なくする努力や対策が求められます。精子のみ目を向けて個体に目を向けない不妊治療では限界に差しかかっており、今後のさらなる研究の進展が期待されます。