院長のこれまでの歩み
秋田県秋田市で高校英語教師の父親の教育方針のもとでカトリックの家庭に生まれ育つ。秋田大学教育学部付属小学校時代、国語を故安藤善次郎氏、秋田大学教育学部付属中学校時代、英語を故佐藤信篤氏、数学を菊地重昭氏、音楽を故羽川正氏に学ぶ。秋田県立秋田高等学校を卒業後、東北大学医学部に進学する。
大学卒業と同時にアンドロロジーを学ぶため、東北大学医学部泌尿器科学教室に入局し、折笠精一前教授の指導のもとで臨床医学を学ぶ。泌尿器科専門医取得後、加齢医学研究所免疫遺伝子制御分野佐竹正延前教授(東北大学加齢医学研究所前所長)の指導のもとで医学博士号を取得する。学位取得後に同研究室に招かれ、白血病発症に関する遺伝子と精子形成に関与する遺伝子の解析を行う。その後東北大学大学院医学系研究科外科病態学講座泌尿器科学分野荒井陽一教授の命を受け、米国Stanford Burnham Instituteで腫瘍免疫の研究に従事し、優れた業績を残す。
帰国後男性不妊のさらなる実地臨床経験を積むため、意を決して高度生殖医療施設に赴任する。泌尿器科専門医が高度生殖医療施設で女性不妊治療と男性不妊治療の双方を実践する試みは前例が無く、生殖医療に専念する泌尿器科医としては全国で先駆けとなる。高度生殖医療施設での3年間の顕微鏡下精巣精子採取術の修練の結果、非閉塞性無精子症の妊娠率を日本で初めて論文発表し、米国泌尿器科学会総会で受賞、河北新報に掲載される。その功績が認められて泌尿器科常勤医師不在であった国際医療福祉大学塩谷病院に准教授として招請され、泌尿器科を一から立ち上げ、顕著な男性不妊手術実績が読売新聞に掲載されるとともに、4年間の診療で多数の地域住民の泌尿器疾患の制圧に貢献する。その後不妊カップルの手術待機期間を短縮するため山形徳洲会病院に移籍し、2年5ヶ月間の在任中約500件の男性不妊顕微鏡手術を提供するに至る。
学力テストで全国一位である秋田県の初等中等教育、実学尊重、研究第一を理念に掲げ、日本で3番目の歴史を誇る東北大学での修学、さらに学閥を超えた大学病院、国際医学研究機関及び基幹医療機関での修練は、泌尿器科専門医にとどまらず生殖医療専門医としての高度な知識と技術の習得とともに、世界的にも顕著な顕微鏡手術実績数につながる。そして東日本大震災後東北大学が新たに掲げた理念である復興と新生、世界への飛躍を自らの専門分野で実践するため、仙台市で新たな挑戦を始める。